「なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。」
あの預言者バラムの口に神様が置かれたことばです。イスラエルに向けられた、神様の「恵み」による評価…。彼らのことを憎み、彼らがのろわれることを切望したバラク王に対し、神様はためらうことなくそう宣言してくださいました。
神様の「恵み」…、この世のどんな王様も、どんな偽預言者も、その「恵み」による決定をくつがえすことはできません。「恵み」によってイスラエルを愛するとお決めになった神様は、最後まで彼らを愛し通されるのです。どんなに悪意に満ち、悪知恵の働く敵であっても、決してその愛を変えてしまうことはできません。「それからバラムは立って自分のところへ帰って行った。バラクもまた帰途についた」とある通り、そのような試みは必ず失敗に終わり、実りのないむなしい結末を迎えることになるでしょう。
言うまでもありませんが、神様は目をつぶって「なんと美しいことよ」と宣言されたのではありません。何でもお見通しになる、完全な視力を持ったその目には、彼らの中の「不法」も「わざわい」も、もれることなくすべてが映っていたのです。にもかかわらず、「不法を見いださず…わざわいを見ない」と語られた…。聖書の中で繰り返し、聖なる神、義なる神としてご自身を現わされたお方がそんなことをなさったわけですから、「恵み」というのはとにかくすごいことなのです。
この「恵み」を特に強調したのは使徒パウロです。彼はそのことのゆえに人々から批判されました、「あなたの教えは、罪を犯すことを助長するものだ!」と。「恵み」を強調することは、人々を放縦に走らせると言うのです。でも、果たしてそうでしょうか? 「恵み」、すなわち「愛される価値のない者に注がれる神様の愛」を本当に知ったなら、むしろその神様を心から愛するようになるのではないでしょうか? その神様に喜ばれる生き方をしたいと願うのではないでしょうか?
次回、このバラクとバラムの出来事にもう一度だけ注目し、神様の「恵み」について考えてみます。実は、イスラエルはこの後、すぐに恐ろしい不道徳の罪を犯してしまうのです。どうもバラムのはかりごとによるものらしいのですが、その彼らに対し神様がどんなことをなさったか…。ご一緒に考えてみましょう。
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